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2009年08月10日

世界の終わり、あるい始まり/歌野昌午

世界の終わり、あるい始まり/歌野昌午

学生ばかりを狙った連続誘拐殺人事件が勃発した。新興住宅地で家族と共に平和に暮らす富樫修は、小学校六年の息子の部屋で、
事件にかかわるある物を目にしてしまう。その後、次々と見つかる息子犯人説への物証。
 「なぜ、我が子が」という戸惑いと、息子の将来だけでなく、自分も家族の未来も破滅するという恐怖。
免れようのない悲壮な現実を目の前にしたとき、人はあらゆる知識と想像力を総動員して逃げ道を探す。
自分を守るため、そして家族を守るために。。


連続誘拐事件が発生し、その直後に自分の息子の部屋で事件に関わる物を発見してしまう・・・。
なんて恐ろしいことだろう。
この状況に直面して、どう答えを出すのか、私には途方に暮れてしまうテーマだ。
息子に直接問いただすべきなのか?
もし、問いただして自分の子供が犯人だったとしたら、告発すべきなのだろうか?隠蔽してしまうべきなのだろうか?
何故、自分の子が・・・?

未成年の許せない事件は数多くある。
本当に親は知らなかったのか?子供を庇って被害者を見殺しにしたのか?という憤りのある事件を他人の目で見るとそう糾弾したくなる。
しかし、糾弾される側になったとしたら・・・?
問いただしたくても、勇気が無い気持ちがひしひしと伝わってきて、何故、その事件に関わる物があるのか、本書の主人公:富樫はあらゆる想像を駆使して、自分の気持ちを図っている。
よく、ゲームやDVDなどでエンディングが選べるようになっているものがあるが、本書もそのようないくつもの展開をシュミレーションとして繰り返される。
だが、どの想像も彼にとっては悲劇的な結末になってしまう。
真実は読者の想像に委ねられたクライマックスだ。

もし、富樫と同じ立場になったとしたら・・
物凄い恐怖です。
真相が気になるが、想像するしかない。


オススメ星★★★★



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Posted by いくモグロ at 21:28│Comments(0)歌野昌午
 
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